サーフィンを始めて20年が経ちますが、頑張ってやっているんですけどなかなかうまくなりません。
年齢も感じてきて、このまま続けていても上手くなる兆しが無く、諦めようかと思ってしまう時もあります。
今後何を意識すればいいのかアドバイスをお願いします
という一般の方からのお問い合わせをいただきました。
20年やっていれば、普通のスポーツはそれなりに出来ることもありますよね。
私は30年以上1万人を見てきたのと、自分自身と比べて思うのは、
やっぱり、誰でもできることを誰よりもやることですかね。
同じ期間サーフィンしていても差が出るのは?
たとえば、サーフィン歴10年ですでにバシバシ当てている人と、まだテイクオフが安定しない人がいるとして
この10年でテイクオフした本数は?
となるとバシバシ当てている人は、最初の1年はともかく2年目から一日10本乗っていれば、年50週で500本乗っている、10年で約5000本
万年初心者の方は、一日2本だと年100本、10年で100本
単純にライディングだけでも5分の1しか乗っていなければ上手くならない。
でも、もしかしたら1000本しか乗っていないけど、バシバシ当てている人の1000本時点よりも少しマシだったり。
そうなるとテイクオフ本数が同じだったらレベルは超えていたかもしれませんね。
結局そうなると、最初の一年で
・どれだけ波を追いかけて
・どれだけパドルするか?
になってきますよね。

多くの基礎的な経験から楽に波に乗れる
それがまだ追いかけの本数やパドルの距離が、バシバシ当てている人が1年でやったことを3年かかったとしても、4年目から年500本乗れば10年くらいで追いつくかもしれませんね。
ですが実際には、同じ1000本を2年で乗るのか、10年かかるのかだと1本の重みが薄まっていく。
出来るだけ短期間に上手い人と同じくらいライディングを多くすることが基本になってきますよね。
かといってここで浮力を出すとライディングがしづらくなりもっと薄まるし、基礎的なパドリング力とかテイクオフ力がついているわけではないのでそれも良くないですしね。
なので、誰でもできることを誰よりもやる。
結果的に乗れている人からすると、
『自分が最初の1年でやったくらいのパドルや波追いなんて、自分でもできたんだから誰でもできる』
って感覚かもですが
やれなかった人には誰にもできないと思ってしまう。
やればできることなのにやれない。
”誰でもできることを誰よりもやる”
けどその意味がちゃんと理解できるか出来ないか?かもしれません。
また、ただ単に基礎的な練習を(とにかく漕げばいいとか)上級者は最初は楽しくてやっていたというのもありますね。
毎日漕ぎまくって追いかけまくっていると、当然一つ一つの重みが詰まっていく。
重みが詰まっているということはそれだけ短期間で上達していくのがわかる。
短期間で上達すれば楽しくてしょうがない。
夢中になって追いかけているだけで、やらされているわけじゃないから苦でもない。
だから勝手に上手くなる。
結果やっていないひと、やれていない人から見ると誰にもできないことをやっていると思ってしまいがちですね。
ただ単に浮力の無い板でテイクオフするってことだって、やれる人はやるし、
自分で『この板でテイクオフ出来る気がしない』と思ってしまえば出来ないですね。
でもどんなことでも、とにかくパドルすればいい。とにかく慣れればいいだけ。
そう思えばそうなんですね。
サーフィンはやったもん勝ちの世界
自分の中での必要な基礎を誰よりもやっているか?
自分よりうまい人、自分がああなりたいと思っている人、見本になる人、その人よりもやっているかどうか?
たとえば、
プロサーファーは《自分よりもサーフィンのセンスがある》
と思っているのであれば、サーフィンセンスが足りてないならそのプロサーファーが基礎をやった時よりも多くやらないと追いつくはずがない。
ですが逆に
《あのプロよりも倍は俺の方がセンスがある》
と思うとしても、
そのプロよりもセンスが倍なら、練習はプロの半分はやっているか?
なんですね。
それが10分の一しかやっていない。
少しできたら次の部分を意識している。
(結果基礎は100分の一もやっていないかもしれません)
そんな感じで、ちょっとできたから次に行くと、その前にやったことは時間とともに薄れていく。
基礎が慣れていないのに応用編やっていると、結局は基礎の足りなさに気付く。
また基礎をやってちょっとやれると応用に行って、応用が出来ないと…
万年同じ位置で繰り返す。
勉強でもスポーツでもそうですが、本当に誰でもできることを多くやっている人が勝つって感じですよね。
まあ、それがわかっていても出来ない人がほとんどなんですね。

基礎から必死で頑張る姿勢が勝つ!
これは、きっちりどちらかに分かれるわけじゃありません。
色々な人が色々な度合いで存在します。
この話をみて”とにかくやろう!”って思ってやっても、その壁に近い人はすぐにブレイクスルーしてくる。
ですが、そこから遠い人はそのままやっていればいいのに『やっぱりできない』って乗り越えられる壁まであと少しのところで後ろむちゃったり。
あと、こういう言葉を言っている人がいます。
”転ぶことは失敗じゃない、転んでも起きないことが失敗だ”
これも、誰でもできることを誰よりもやるという言葉につながりますね。
サーフィンでも、転ぶこと、波に乗れず置いていかれることこれは失敗じゃないですよね。
そこから何を学ぶか、転んだことから次に転ばないようにすることを目的とすると何が足りなかったか?これを学ぶだけの経験でしかなく、それが”失敗”と思うかどうかで練習を多くやれるかどうかが決まってきますからね。
『波においていかれた原因は浮力が足りないからだ』
なので”早く浮力のある板に買い替えれば良い”
これも”誰でもできることを誰よりもやる”に当てはまるかもですが、そりゃ逃げることは誰でもできますから。
そういう《誰でも》じゃない。
この塩加減というか、境になる部分は今まで経験したスポーツや勉強などの成功体験なども影響はしてくると思います。
とはいえ、そこまで究極な負荷をかけてやるのも精神的に耐えられるか?というのもありますしね。
どこまで耐えられるか?
それもセンスですが、もうすこし踏ん張って基礎の部分、自分の底辺の部分を頑張ってみてはどうでしょうか?
今できていることをどれだけ続ける楽しさ
今できているけど、どんな波でもどんなシチュエーションでも出来るか?
それが出来ないのであれば、その部分から徹底的に誰よりもやっている自信がつくまでやれるかどうかだと思います。
でも、それは最初はキツイと思うかもしれないし、少しやりかけて『このくらいできていれば十分じゃないかな?』と思うかもです。
やっている意味も分からなくなってくるかもしれないです。
ですが、ただ単に努力しろと言うことではなく、やった結果を繊細に感じて、それをやっているだけで頂点部分のテクニックも上手くいく率が上がっていると感じることが大事なんです。
実際にコツコツやった結果が、上達につながるということを【感じる】ことが大事なんです。
自然とその感覚が(上達を感じること)気持ちよくなっていくと、練習は楽しくなりますし、他の方は出来ない底辺のコツコツやることが『楽しい』と思える人が上手くならないわけがない。
コツコツやることがだれがどう見ても上達につながるのはわかっていると思います。
ですが、問題はそれが出来るかどうか、やり続けられるかどうか、その要素に楽しいかが乗ってくるとやらないわけがないんですよね。
現在、コツコツできないとすると、自分の技量でもたまにしかできないことがたまにできた時の楽しさを追求しちゃっていると思います。
ですが、底辺をコツコツやった人は、その何段も上の”たまにしかできない”を楽しんでいるということを考えていただけると『俺もそのレベルに早く行きたい!』とそう思うはずです。
理屈っぽくいろいろと書きましたが、やっぱりサーフィンを楽しめる量は、底辺を頑張った数だけ与えられるといっても過言ではないと思います。
《働かざるもの食うべからず》
みたいな感じですよね。

まずはコツコツやること、やっていると”ズル”の仕方もわかってきます。
ズルが出来るのは、コツコツやった結果から、コツコツやった経験からわかることです。
最初からいきなりズルって出来ないですよね。
ズルしてラクしてサーフィン
というのも、そのベースにコツコツがあることをお忘れなく。

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